デコポンと不知火は、ぽこっと飛び出た頭と甘く瑞々しい果実が魅力的な柑橘類です。見た目も味も似ているため、同じ品種だと勘違いしている人も多いのではないでしょうか。実は、この2つの名前には少し複雑な事情があるのです。デコポンは、不知火の中でも一定の基準を満たしたものにつけられるブランド名です。なぜこのような2つの名前が生まれたのでしょうか?
不知火もデコポンも濃い甘みと手でむける手軽さが売り
1~5月に収穫される温州ミカンを除くかんきつ類は、中晩柑と呼ばれます。この中晩柑の中で、栽培面積、収穫量、出荷量で全国トップを誇るのが不知火。露地物が出回る今の時期は不知火の旬です。ごつごつとした皮は、意外なほど柔らかく手ですっとむけ、果実を包むじょうのうも薄いので、食べても気にならない。ほどよい酸味を残しながらも甘い果実は瑞々しく、柔らかです。
不知火の収穫量でトップをいくのはやはり熊本県。全収穫量の約25%を占めます。今の時期になると、くまモンがあちらこちらでPRしているのも、そのためですね。
偶然から生まれたデコポン
不知火が生まれたのは1972年。長崎県の園芸試験場(現・果樹研究所カンキツ研究部)において、清見オレンジとポンカンの交配により誕生しました。ただ、この段階では製品としての日の目は見ていません。玉の揃いが悪く、形がいびつだったことから、選別の過程で放棄されてしまったんです。
長崎県において、一度は捨てられた品種。そこに目を付けたのが熊本県不知火農協でした。この時代、かんきつ類の産地は苦境に陥っていました。かんきつ類の主流となる温州ミカンが生産過剰により価格の暴落を起こしていたからです。また対米輸出の急増により生じた貿易問題を契機に、オレンジの輸入自由化の議論も進んでいました。温州ミカンの価格暴落は熊本県の特産であった甘夏にも影響、売れ行きが落ち込むという足元の問題と自由化への懸念がありました。不知火農協では、この状況を打破すべく、試験園を設け、甘夏にかわる品種を模索。果樹は170種類を集め、検討していたその中に、たまたまあったのが不知火でした。
ただ、この段階で不知火はあくまでも集めた果樹の中の一つ。まったく期待されていませんでした。というのも、酸味が強かったからです。不知火は熟成させることにより、酸味がやわらぎ、コクと甘味が引き立つようになります。いま、私たちが手にしているのも熟成期間を経たもの。当然ながら、当時、そのような知識はありませんでした。
「熟成」が必要だということがわかったのは、ある偶然から。試験園の園長が、たまたま取り置き放置していたものを食べたことがきっかけでした。酸味は抜け、甘くなっている。その場に居合わせた市場関係者にも食べたもらったところ、「おいしい」と太鼓判をもらったことから、不知火農協を挙げての産地づくりが開始しました。甘夏の樹木に接ぎ木をし、生産面積を広げるとともに、酸味を抜くための熟成方法、土壌管理、施肥技術などを開発し、栽培を拡大していきました。
3月1日は「デコポンの日」です!
初めて東京市場に出荷されたのは、1991年3月1日。25トンが出荷されました。最高値は5キロ7千円。甘夏の3~4倍に相当する価格といわれています。3月1日が「デコポンの日」となったのは、初出荷を記念してのこと。「デコポン」という名前は翌1992年に熊本県果実農業協同組合連合会により商標登録として申請され、1994年に認定されました。もともと「デコポン」は農家の間で呼ばれていた名称。ぽこっと飛び出たヘタの部分の形状と、ポンカンを親に持つことから自然発生的に生まれたものと言われています。