日本の食卓に欠かせない調味料に、味噌と醤油があります。どちらも大豆から出来ている発酵食品ですが、この二つの成り立ちには深い関係があるのをご存知でしょうか。ここでは、味噌と醤油の歴史を振り返りながら、改めて二つの調味料を比較してみましょう。
味噌と醤油、その起源は中国にあり
皆さんは、味噌と醤油どちらが先に出来たかご存知ですか?
そもそも味噌と醤油のルーツは、ともに古代中国の「醤(ジャン)」という調味料だと言われています。これは様々な食物を塩漬けにして保存したもので、味噌と醤油の中間のようなドロドロしたものだったそうです。今でも中華料理の調味料として甜麺醤や豆板醤などがありますから、それに近かったのかもしれませんね。
醤には肉を使った「肉醤(ししびしお)」、魚を使った「魚醤(うおびしお)」、野菜などを使った「草醤(くさびしお)」、穀物を使った「穀醤(こくびしお)」の4種類がありました。このうち、米・大豆・麦などの穀物を使った穀醤が味噌と醤油のご先祖様だと言われています。
日本における味噌と醤油の歴史
日本に伝わったのがいつかは定かではありませんが、飛鳥時代・701年に定められた「大宝律令」には、宮内省大膳職が製造した大豆の醤などを保管していた「醤院(ひしおつかさ)」という施設が定められたと記載があることから、それまでに日本でも醤(ひしお)の製造が始まっていたことが分かります。また宮内省の管轄であることからもわかるように、昔は宮中など上流階級の人しか食べられない貴重な調味料で、今とは違いおかずとして食べられていたようです。
さて、先に歴史上に名前が登場したのは味噌でした。平安時代・901年 に成立した歴史書「日本三大実録」に「味噌」という文字が記載されています。こののち、中国からやってきた僧の影響で、水に溶けやすい「すり味噌」が生まれたこともあり、鎌倉時代には味噌汁を含む「一汁一菜」の食習慣が確立しました。そして次第に庶民の間でも味噌汁を飲む習慣が定着していき、室町時代には今に伝わる味噌料理の多くが作られたそうです。
一方、初めて「醤油」らしきものが出来たのは、信州の禅僧・覚心が鎌倉時代・1254年に中国から径山寺味噌(きんざんじみそ)の手法を持ち帰った頃。紀州の村人にその製法を教えているうちに、味噌から液体がしみ出してきました。それをなめたところとても美味しいと判明!これが今でいう、たまり醬油の始まりだと言われています。
今でも味噌づくりの間に上がってくる液体を「たまり」と呼びますね。
歴史上に正式に「醤油」が言葉として登場したのは、室町時代・1597年、易林本説用集という日常用語事典の中でした。その後、安土桃山時代には大阪を中心に醤油の売買がさかんに行われ、次第に庶民にも浸透していったそうです。
また江戸時代になると、今まで醤油を製造していなかった関東地方でも醤油の生産が始まりました。関西に比べて濃い味好みだった江戸っ子たちに合わせて、千葉県の銚子・野田など利根川沿いの町で、盛んに濃口醤油が生産されはじめます。今でも野田にはキッコーマン、銚子にはヤマサ醤油、ヒゲタしょうゆの工場があり、他にもたくさんの醤油メーカーが千葉県にありますが、それは江戸時代からの流れだったんですね。
新しい時代に合わせた進化も
現在では味噌も醤油も大量生産できるようになり、国内だけでなく海外でも広く販売されています。また大豆アレルギー対応の米みそや、小麦を一切使わないグルテンフリー対応の醤油、アルコール成分を極限まで抑えたハラール認証の醤油など、時代のニーズに合わせた新しい商品も開発されています。これからも私たち日本人の食文化の中心として、大切にしていきたいものです。